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今年は遅くなってしまいましたが、毎年お世話になっている谷性寺の和尚さんに来ていただき魚供養をしました。ですが、「魚供養とは?」と疑問に思う方も多いと思うので、魚供養について少し述べたいと思います。
魚供養が必要な理由
日本は周りを海で囲まれた地形の為、古来より『海』や『川』と密接な関係を築いてきました。その為日本人にとって漁労採取の営みは、生きる上で必要なことでもあります。
魚の命を奪うことに対し、人々は感謝の意を表してきました。
それが仏教の思想と結びついたときに供養塔や供養碑となってあらわれるのです。
つまり供養塔が建てられる意味とは『命で命を繋ぐことへの感謝』を表したものなのです。参照(https://wild-scene.com/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E4%BB%8F%E9%96%A3/13009/)
魚供養の歴史
魚族供養の歴史を調べてみると、その痕跡となる供養碑は国内各地に1100基以上も存在することが明らかになった。
供養碑のなかで建立時期のわかる供養碑は688基あり、それらを検討すると、供養碑は江戸時代に入って増えることと、そして、平成の時代に至るまで各地で供養碑が建てられ続けてきたことがわかる。
実際、明治以降に建てられた供養碑の数は523基もあり、供養碑の建立は、むしろ近代になってより盛んになったということがわかる。
【江戸時代】
江戸時代の供養碑はクジラを対象としたものが圧倒的に多い。
この時代に、困窮を救ってくれた寄り鯨への感謝や、捕鯨との関わりで各地に鯨の供養碑が建てられるようになる。
大漁に感謝しつつ慰霊のために建てられた魚類の供養碑が登場するのはクジラより遅く、1800年代になってからである。
【明治時代】
明治以降は、大漁による売り上げの増加や販売先拡大などの事業成功を理由に供養碑が建てられる例も出てくる。
【昭和時代】
昭和期に入ると、真珠、アユ、ニジマスや食用蛙など、養殖関係者が建立した供養碑も登場する。
昭和以降は、漁業や養殖業といった生産分野のみならず、魚商や卸売市場などの流通分野や、料理組合や加工食品会社などの加工分野までと、水産業界の様々な事業者が供養碑を建てるようになり、近代以降の供養碑の増加は、供養主体の多様化とともに進んできた。
【〜現在】
戦後になると、「魚霊碑」「魚魂碑」のように、祀る対象を大きく捉えた供養碑も登場する。
戦後建立の先のような供養碑は121基もあり、漁獲対象や、水産試験場が扱う実験魚全体、開発工事や災害の影響で失われた生命など、より多くの生き物をまとめて扱うために包括的な名称が選ばれるようになったものと思われる。
時代が下るにつれて、供養碑建立の『理由』や『気持ち』も多様化、細分化されてきている。
その為元々あった『食による命を繋ぐ感謝』から『生活や人生を支えてくれている感謝』
というもっと大きな枠組みへと変わりつつあるのかもしれない。参照(https://wild-scene.com/%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%83%BB%E4%BB%8F%E9%96%A3/13009/)
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